社会医療法人健康会 京都南病院・新京都南病院看護師募集サイト

小野千秋

父の死を乗り越えて

201508中学生の時、友達が看護師になりたいと言っていました。看護師なら資格をもって一生働けるし、もともと人のお世話をするのが好きだったこともあって、私も看護師になりたいなと感じ、そのまま専門学校に進学するつもりでしたが、教師の勧めで普通科の高校へ。

高校の時、父親が突然、闘病期間もないまま亡くなりました。ちょうど反抗期で、父親に何もできなかったという後悔もあり、その分患者さんの力になりたいと感じて志を強くしました。働きながら准看護師の資格をとり、その後看護師資格を取るという長い道のりでしたが諦めませんでした。ただストレスで甘いものを食べて太りましたけどね(笑)。

看護師として、師長として

看護師として最初に配属されたのは消化器内科でした。そこで出会った患者さんはご病気というより高齢で、処置による延命は見込めなかったので、最低限の点滴をして、自然に亡くなられるという看取りをしました。病院というと、命の危機に際して心臓マッサージや電気ショックなど、助けるためにあらゆることをするというイメージがありましたが、病院での自然な死を見て、そういう看取りもあるのだなと感じました。

それとは対照的だったのが、子どもをお持ちの末期がんの女性患者さんです。看護師が行くと「私は助かるよね、死なないよね」と常におっしゃっていました。当時は今ほど告知が一般的でなく、ご家族も望まなかったので、私たちも「助かるよ、大丈夫だよ」としか言えなくて、でもそれって嘘をついているんですよね。病状を伝えて、家庭でお子さんと過ごさせてあげたほうがいいのではという思いが強くなっていきました。すると看護師として関わらなくてはいけないのに、その患者さんのところに行きづらくなって。看護師としてもっと何かできないのかと無力さを感じ、末期の患者さんに対しての看護を考えさせられました。また、それをきっかけとして緩和ケアにも興味を持ちました。
今は師長をしていますが、人になにかを伝えるのは難しいなと以前より感じます。自分の考えを口に出さなければ伝わらない、でも言ったつもりでも伝わらないこともあります。看護師にもいろいろな人がいるので、全員が同じ方向を向くのはなかなか大変です。

南病院のよさを受け継ぎたい

201508_2病棟でも個々人でも、常にそれぞれの目標を意識できるよう管理していくのは、11年やっていても試行錯誤の連続です。
一看護師としては、終末期のケアにおいて、病気になっても命がある時間をどう生き切ってもらうかという視点をもって、患者さんやそれを支えるご家族をサポートできる看護師でありたいですね。

また師長として、チーム全員で患者さんやご家族に満足してもらえる看護を提供できるよう目指しています。患者さんは病気を繰り返して何度も入院される方、突然の事故で初めて入院される方といろいろです。「もし自分だったら、自分の家族だったらどうだろう」と相手の立場に立って考え、少しでも早く回復していただけるように努めています。1人の看護師の対応が不適切だと、それが全体の印象に変わってしまうので、この心がけをスタッフに伝え、また自分が率先して行動することで、病棟一丸となっていい看護ができるようにしていきたいですね。

私は本当に南病院が大好きで、勤続…25年くらいになるでしょうか。つらいと思ったことはあるけれど、看護師もこの病院も、やめたいと思ったことがないんです。
患者さんたちにもよく言っていただくのですが、南病院はどこよりも患者さんに親切な病院だと思います。昔から地域に根付いていて、患者さんご家族との深いかかわりを持っているこの病院が私はとても好きです。そして尊敬できる医師・先輩看護師がいる病院です。今後は私たちの姿を見て後輩が育ってほしいなと思っています。上下関係もあるけれど、上下というより仲間としてサポートし合える、そんな素敵な職場です。