田中久美子
よろこんでもらえた経験から看護の道へ
私は子供の頃、よく祖母の入れ歯を洗ってあげていました。そうすると、祖母は「ありがとう、こんなんしてくれて嬉しいわ」とすごく喜んでくれました。「人 に何かをしてあげることによって相手が喜んでくれる」ことを嬉しく感じました。この経験は私が看護師を目指すようになった原点になっていると思います。
看護師になって初めて就職したのが京都南病院。以来20年近く「看護」という仕事に携わっていますが、今になってもやはり私には「看護師」以外の仕事は考えられません。
確かに看護師の仕事は辛いことや、大変なこともたくさんあります。しかし、それ以上に、嬉しいことも、もちろん辛いことも含め、自分が相手に何かすること によって、相手の反応が目に見えてわかる、そんな看護が好きなのだなと思います。私は、地域に根差したアットホームな京都南病院の風土が好きで当院で看護 師として働き続けています。
忘れられない「後悔」
私には忘れられない経験があります。外科病棟に勤務していたとき、ある50代のガンの患者さんを受け持っていました。その患者さんは症状も重く、夜中も痛 みに苦しんでいました。奥さんは毎日病院に足を運び、旦那さんの看病をし、夜に痛みで苦しいときは旦那さんの背中をずっとさすっておられました。
そんな献身的な奥さんを見て、患者さんは「妻にはずっと感謝しているんだよ」と言われていました。普段は亭主関白で、素直に奥さんに気持ちを伝えることが できないでおられました。奥さんにこの言葉を伝えなくてはならないと思った矢先に亡くなられて、伝えることができませんでした。もし、私が患者さんの想い を奥さんに伝えることができていたら、家族との残された時間がもっと違った風になっていたのではないかと思い、今でも「後悔」が残っています。
患者さんだけでなくご家族の心理面にも関わる「ケア」が看護には必要だと思います。患者さんとご家族に残された時間を有意義に過ごしていただけるように最大限サポートすることの大切さを実感しています。
患者さんと心を通わせられる看護を続けたい
看護師が患者さんの臨終の際に、一緒に泣いてしまうことはダメなことなのでしょうか。私は、准看護師のときに、初めて自分の担当していた患者さんの死と直面しました。
その時の私は、悲しさのあまり泣いてしまい患者さんへの最後のサポートもできませんでした。すると先輩から「看護師のあなたが泣いてしまってどうするの!」と言われ、「看護師は泣いてはいけないんだ」と教えられました。
それ以来、人の死に直面しても冷静さを保つよう心がけてきたのですが、看護師といえども一人の人間。患者さんと接するにつれて、その患者さんへの想いは募ります。
そんな中で患者さんの死に接してダメだとは思いながらも自然に涙がこぼれたんです。すると、当時の看護師長から「泣きたい時には家族と一緒に泣いてさしあげればいいんですよ。」という言葉をいただき、救われた思いがしました。
看取りの援助ができないほど感情に流されてはプロとはいえません。しかし、患者さんに寄り添って看護をしてきたならば、亡くなられた時に涙が出るのは自然 な事ではないでしょうか。そんな風に、ひとりの人間として患者さんと心を通わせられる看護を、これからも続けていきたいと思っています。