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前田久仁子

「やっぱり看護がしたい」社会人8年目からのチャレンジ

201509_2もともと中学の時に漠然と看護師に憧れていました。私の通っていた中学校で、興味のある生徒を集めて行く病院見学会のようなものがあって、それにも参加しました。ですが実際に高校で進路を選ぶとき、自分が看護師という責任を負うことを考えると、そこまで自信がなくて。全く違う仕事につきました。

転機は8年くらいたったある日。家の近くに看護学校があるのを知り「やっぱり看護師の仕事をしたい、学校に行って学びたい」と思い、その学校に通い始め、今に至ります。看護師をやりたかったとずっと思っていたのですが、それまで学校があるのを知らず、看護師になる道がわからなくて。以前の仕事も楽しかったですが、本当に自分に向いているか、やりたいことかと言われると違うな、と悶々としていた時に、偶然出会った人から、近所に看護学校があると聞いたんです。他の仕事を経験してから学校に来る人もいると聞き、じゃあやってみようかなと。前の仕事も長かったけれどチャレンジしてみよう、と新しい世界に飛び込みました。

父の死をきっかけに

看護師としてしばらく働いたのち、父という身近な人の死を経験しました。看護師としてではなく家族として、入院した父を見ている中で、自分は患者さんの立場に立って考えることができていたのかと考え直しました。

今までは忙しい業務の中で、お年寄りの患者さんとの会話を、なんとなく済ませてしまったり、自分主体で話しかけてしまっていたこともありました。患者さんの今までの人生、バリバリ仕事をしてきて、様々なことを経て今に至るという側面が見えていなかったのですが、自分の父が寝たきり・認知症になってからは、現状のその人だけではなく、それまでの患者さんの人生も見ていかないといけないな、と。ご家族が来院された時に、どんな仕事をしていたのか、どんな人だったのかを聞くようにしたら、患者さんの見方、関わり方ももっとよくできるのではないかと考え、患者さんともっと深く関わりたいと思うようになり、意識が変わりました。

あるときのこと、終末期の患者さんの看取りをした際に、家族の方から「よくしてもらった」とか「いつも話を聞いてもらえて楽しいと言ってたんです」と言って頂いたことがありました。私はその患者さんに、看護師として普通のことをしていたつもりだったのですが、そう感じてくださっていたのだとわかると嬉しいですね。その方が亡くなられた後に、娘さんがすごく私を頼ってくださって、最後が私でよかったといってもらえて……家族でもない、最期のひとときを一緒に過ごしただけの私に、そんなことを思ってもらえるんだなと感動しました。日々何気なくやっている看護の仕事って、すごい仕事だなと実感し、やりがいを感じました。

看護師と育児の両立

201509_1今後は終末期の患者さんにもっと寄り添って、何を一番必要とされているのか理解したいと思いますし、ご家族との関わりも深めていけたらなと。日々たんたんと業務や看護をするのではなく、ちょっと留まりながら、患者さんの人生観や仕事、子供の話と、いろんなジャンルの話を聞くようにするなど、そういった小さなことを積み重ねていきたいです。

現在三人の子供を育てていて、自分のことを考える余裕があまりないのですが、以前から終末期の人と関わる仕事はしたいと思っていたので、落ち着いたらもっと詳しく勉強したいです。一番下がまだ四歳で、仕事に育児に毎日必死ですが、それでもやはり看護の仕事、人と関わることが好きなので続けています。三人目が生まれてから夜勤をやめ、日勤のみの勤務に変えたので、子供と一緒に家を出て、一緒に戻る生活をしています。まずは家庭と仕事の両立を頑張りたいですね。